洗練の極み、クリスティアン・テツラフのソロ・リサイタル
2024-10-07



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2024.10.07 紀尾井ホール (東京)
Christian Tetzlaff (violin)
1. J.S.バッハ: 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 二短調 BWV1004
2. J.S.バッハ: 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番 ハ長調 BWV1005
3. クルターグ: 「サイン、ゲームとメッセージ」から
 J.S.B.へのオマージュ
 タマーシュ・ブルムの思い出
 無窮動
 カレンツァ・ジグ
 悲しみ
 半音階の論争
4. バルトーク: 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ Sz.117

元々は翌々日の読響のチケットを先に買っていたのですが、ソロリサイタルもやるに違いないと探したところ、チケットぴあのサイトで見つけました。紀尾井ホール主催公演ではなかったので販売はぴあ、イープラス等のチケット専門サイトのみ。サイトそれぞれで手配できる席が違うのが面倒くさいうえに、慣れないので決済のタイミングがわかりにくく、結局意図とは違う席を買ってしまったのですがそれはさておき。

テツラフのソロは、2012年にロンドンのウィグモアホールで聴いて以来の2回目です。そのときはバッハのソナタ&パルティータの2番、3番というちょっとヘビーなオール・バッハ・プログラムだったので、今日の前半は前回との比較というか、どのくらい印象が変わるのだろうかというのが観賞ポイントです。

昨年同様、近年のスタイルである殉教者のような風貌で登場したテツラフ。この人の演奏スタイルは以前からずっと変わらず、独特の間合いで、まるで息をするかのように自然に音を奏でます。「奏でる」という人為的な行為の表現よりも、「溢れ出る」と言った方が適切かもしれません。前回ソロで聴いたのは12年も前ですが、そのときの細部はともかく感動はしっかり記憶に残っており、備忘録で書き残したことも頼りにしつつ書き連ねると、パルティータ第2番のクライマックス「シャコンヌ」は、以前の一大叙事詩のような劇的表現から生々しさが消え、浄化された響きになっていたのが意外でした。当たり前ですが12年前と全く同じことはやっておらず、枯れた味わいの一歩手前くらい、絶妙な程度で熱量を残しながらも余計なものを削ぎ落としたところに、キャリアを重ねた進化を見ました。

休憩後の後半は、クルターグとバルトークの近現代ハンガリープログラム。「サイン、ゲームとメッセージ」は、YouTubeには多数動画が上がっていて、レコーディングも複数あるわりには、調べても全容がよくわからない謎の曲で、50年以上に渡って継ぎ足されてきた私的な小曲集のようなのですが、楽器もヴァイオリンだったりヴィオラだったり、曲によっては歌が入っていたり、管楽器の合奏だったりと、つかみどころがありません。今日の演奏はソロヴァイオリン・バージョンの全29曲からバッハへのオマージュ曲を含む6曲の抜粋になっており、1、2分の短い曲ばかりなのであっという間に終わりました。馴染みのない曲なので演奏解釈まで論評できないですが、印象としては、先ほどのバッハがゼロ点から表現を足していくような音楽作りだったのに対し、こちらはゼロ点を中心に時にはマイナスに引き、より鋭く、振れ幅の広い表現に少しギアを切り替えていた感じでしょうか。うまく言えませんが。


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