2014.06.27 サントリーホール (東京)
Pietari Inkinen / 日本フィルハーモニー交響楽団
1. シベリウス: 交響詩《夜の騎行と日の出》
2. マーラー: 交響曲第6番《悲劇的》
すいません、このインキネンというフィンランドの若い指揮者は名前も知りませんでしたが、経歴を見るとロンドンとは縁がなかったよう。本職はヴァイオリニストみたいです。このプログラムは2011年に行うはずが、東日本大震災のおかげで中止になり、3年を経てようやく実現したファン待望の演奏会とのことだそうです。そのわりには空席が目立ってましたが。
1曲目、シベリウスのこの曲は初めて聴きます。著名度ベスト3と言えるフィンランディア、第2交響曲、ヴァイオリン協奏曲の後に作曲された最壮盛期の作品ですが、どうも私はシベリウスが苦手というか、よくわかりません。突き放して接してしまうと着想の退屈さを感じるばかりで、よっぽど体内リズムと合わないのかなあと思わざるを得ない。タイトルのごとく馬が疾走する場面の音楽がキレ悪く、インキネンさん、大仰な指揮ぶりでバトンテクは優秀なんだろうけど、もうちょっと縦線はそろえてくれんかのー。
最初はLAゾーンで聴いてたのですが、がら空きだったので休憩時間に下の席に移動。メインのマーラー6番は特によく聴きに行く曲ですがこのところチャンスがなくて、実演は2年前のBBCプロムス(シャイー/ゲヴァントハウス管)以来です。スローペースの行進曲で始まった第1楽章は、やはり縦の線がおおらか。今回金管はなかなか頑張っていて、特にホルンのトップは単に巧いというよりもさらに上位の、世界で通用する「音」を手中にしている素晴らしい奏者と思いました。
中間楽章の順序はスケルツォ→アンダンテといういにしえのスタイル。ここ10年の間に聴いた演奏を思い起こすと、スケルツォ→アンダンテを取っていたのはハイティンク、マゼール、ビシュコフ、ヴィルトナー、その逆のアンダンテ→スケルツォはハーディング、シャイー、ビエロフラーヴェクでした。スケルツォ→アンダンテのほうが若干多めですが、判断は二分されていると言ってよいでしょう。ただしインキネンのように若い指揮者がスケルツォ→アンダンテを採用するのは珍しいと思います。
楽章を追うごとに指揮者も奏者もどんどん疲弊してきて、まず木管が先に脱落、ピッチが合わなくなってくきてヤケクソ気味の音になっておりました。最後に意表をつかれたのは、3回目のハンマーが正しく初稿通りの第783小節で打ち下ろされたこと(手持ちのCDだとバーンスタインが3回目のハンマーを叩かせてますが、楽譜指定とは違う第773小節でした)。中間楽章の順序は未だ両者の解釈がせめぎ合う中、ハンマーを3回叩くのはさすがに昨今の実演ではほとんど聴かれなくなっていると思います。私も実演では他に記憶がありません。小ぶりのハンマーを両腕を使い刀を振り下ろすかのごとくぶっ叩くのは、なかなか気持ちのよい瞬間でした。
全体的には、息切れしながらも最後までよくがんばった演奏、と言えそうですが、オケの力量の上限を見てしまったのもまた事実。ただそれよりも、インキネンは北欧人らしいシュッとした若者のくせに、やってる音楽が「昭和」(「前世紀」というよりもこのほうが年代的にもしっくりきます)の大家風の域を出ず、もちろん本人はまだ「巨匠」では全くないので、求心力も包容力も深みも貫禄も、まだまだこれからの話。何が一番気に入らなかったかと言えば、まあそんなところです。
余談ですけど、私はNAXOSレーベルへの録音実績を誇らしげに経歴に書き込むアーティストは大成しないと思ってます。自分は容易に置き換え可能な存在です、と自ら表明するようなもので、芸術家の姿勢としては、むしろ恥ずかしげに隠すものではないのでしょうか。(今回の場合、日フィルのプログラムに載っているインキネンの経歴が本人承諾の文章なのかはわからないので、評価は保留してますが。)
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